「けだまのゴンじろー」11話感想 寝ながらポテチを食べたのはなぜ?
ついに二連続でゴンじろーの話だ!ブログタイトル変えようかな。
けだまのゴンじろーが新世代のコメディだなと感じるのは、関係性の描き方のかもしれない。脚本も演技も絵もそのへんをかなり丁寧に表現していると思うんだけど……駄目だ長くなるからまたブログにまとめよう
— とげとげ仔猫 (@togetoge_koneko) June 15, 2019
ツイッターのほうが人目につくっていうのもあって、できるだけツイッターで感想を書きたいんだけど、無理だった。好きなところが多すぎるし、それがなぜ好きかっていうのも気が済むまで語りたい。そんな僕の欲求と理屈っぽさを許してくれるブログの心の広さに感謝しつつ。
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土曜日は東京おもちゃショーに行っていたので、リアルタイムで観れなかったけど、家に帰ってきてからあにてれで視聴した。
気になったところを反復できるし、ちょっと感受性が小爆発を起こしたときに一時停止して心を落ち着かせられるので良いですね。今後はリアルタイムとあにてれの二刀流でいきたいと思います。DVDとかでたら三刀流。これでウォーターセブンにいってもカクに勝てるぞ。(ONE PIECE、次巻は7月の最初に出るらしいですね。早く読みたいな)
前回は「論じたい!」って思って書いたので硬い文章になりましたが、今回は「語りたい!」って欲があるのでゆるめに書く。
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「すげーぞ毛リュウケン」
・30年前のカンフーアクション映画て。マコトくん、趣味が渋いな。
・映画を観てるときにはイマイチな反応だったゴンじろーが公園にシーンになったらゴリゴリのファンになってる。この展開になるなら、最初からもっと興味を持っていた方が自然だけど、敢えてそうしなかったのは、描かれていない部分になにかストーリーがあるってことなんだろうな。映ってないところでもちゃんとマコトとゴンじろーの日常が存在しているのを感じさせる描写でした。二人でアクションスターごっこしてるの微笑ましい。
・「こいつはひでえ!壁いっぱいにうんこを描いて……」の描き方。普通だったら(というか素人の僕だったら)歩いているところを横から撮って、そのバックにある壁を見せると思うんだけど。壁をメインに描きながら、町中を歩くゴンじろーたちを透明に重ねる表現になってる。アニメとか映像は詳しくないからなんとも言えないけど、素人目にも「へーこういう見せ方があるんだ」って勉強になった。
・「チキンだチキンだ!」」「わっしょいわっしょい!」この無邪気さ。
・「マコト…あれ、頼む」この心底頼ってる感じ。
・おそうじ拳奥義・猛烈毛龍拳、カッコよすぎません?コメディにおけるバトル描写って最高ですよね。でんぢゃらすじーさんが長編だとボロボロになって戦うみたいな。ボーボボで首領パッチが怒んパッチになってめちゃめちゃカッコよくなるみたいな。伝われ~。
・「これ、絶対オイラたちの影響だろ…!」オイラ「たち」って言うのが良い。傍目から見たらゴンじろーの手柄だけど、本人からしたらちゃんとマコトとプーじろーも含んでいるってことなんだろうね。
・「でもこれで、また本物のモアッチャ~が聞けるんだね!」本物のモアッチャ~聞きたかったっていうマコトの願望は無事に成就。
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「もうそうがぼうそう?」
・すげえ斬新だった。話にしても描写にしても。またひとつ、このアニメの可能性が拡がった。
・妄想だからなんでもアリ!っていうの、謎のポリシーめいたものを感じました。力強いお言葉。
・せっかくの日曜日なのに外に出かけられないなんて、つまんねーなー」に対するマコトの「ゴンじろー濡れたら大変なことになっちゃうだろー」の言い方に『情』を感じた……。ここ、妄想の中でゴンじろーが海にはいる前の伏線になってるんですね。
・マコト「って、寝ながらお菓子食うな!その手で漫画読むな!」
ゴンじろー「マコトがこうるさいな~新築のアパートの大家さんくらい、こうるさいな~(しみじみ)」
このへんのやりとり。ギャグの形式に上手く落とし込んでるけど、こういう日常的なやりとりの描写が極めて絶妙だ。なんなら、「雨で遊びに行けない…」っていうくだりからすぐに妄想の展開にしたって問題はないだろう。寝ながらポテチを食べたことの意味とは。敢えてこういうシーンを挟むことで、もちろん、展開の転回する前にワンクッションいれるっていう目的もあるだろうけど、関係性の描写として決して無意味じゃないはずだ。
いやー改めて考えると、部屋で寝ながらポテチを食べる、その手で漫画を読む、それを指摘する…っていう一連のやりとりはたまんないですね。関係性を端的に表すのに、これ以上最高な表現ってある?
・ここからの展開がすごすぎる。妄想の世界に……妄想!?
ツイッターでも書いたけど、妄想はあくまで日常的な行為。「身近にいてほしい存在」としてのゴンじろーは、いくらハチャメチャなことやっても人間のマコトとの生活から離れることはない。身近にいてほしい存在がちゃんと身近にいる。
けだまのゴンじろー、ついにメタ技法まで…!
— とげとげ仔猫 (@togetoge_koneko) June 15, 2019
別世界(妄想の世界)にいることを表現するのに絵のタッチを変えるっていうのは斬新ですね。
あくまで妄想っていうのも良い。日常性を欠くことなく可能性を拡げる。そして日常性とは現実世界との距離感の近さだから、僕たちの身近な存在として感じられる。
そもそもゴンじろーは「身近にいてほしい存在」として描かれていると思うので、そうなってくると日常性や実在感っていうのは大事だろうな。ドラえもんの人間味と同じで。また非日常といっても完全なファンタジーではなく日常ハッキングだ。手応えのあるロマン。そして安心感。 #けだまのゴンじろー
— とげとげ仔猫 (@togetoge_koneko) June 15, 2019
ツイートで日常ハッキングって造語を使ったのですが、僕は表現のありかたとしてそういうのがすごく好きで。完全なファンタジーよりも、ファンタジーの現実性(ゴンじろーの人間味)と、現実のファンタジー性(マコトの直面する様々なトラブル)が同時に作用しあって、観ている僕たちの生きている現実世界そのものを揺さぶる、そんなのが好き。
学校に行くのが面倒で「どこでもドア欲しい~」って言うのはまさに日常ハッキングの結果なんだけど、やっぱりそのためにはドラえもんは別次元にいちゃだめで、のび太の部屋の押し入れで寝ていなきゃいけない。身近な存在がちゃんと身近にいるとは、例えるならそういうことだ。
・キモい人魚、なんなんだ?どちらかというと魚人かな。妄想の世界とはいえこいつだけは制御できないんだな。
・ゴンじろーの英語の喋り方。「oh.thank you.」→「オオ~ゥ、ズァンキュウ~ゥ」。この演技。
・妄想の世界の描写としてただでさえタッチが変わってるのに、さらにアメコミ風になるって。メタにメタの重ね塗り。本当に土曜朝アニメか?これ……。
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・けだまだけチャンネル。マコトくんの舌打ち。
・「けだまのゴンじろーは動物番組」。初めて知った……!ダーウィンが来た!、志村どうぶつ園、けだまのゴンじろー。自然の摂理。ごもっともです。
・僕もなんかHPからおたより出してみようかな。
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気づいたら2000字を突破してる。本当はもうちょっとツッコみたいところもあったんだけど、もう言い出したらキリがないな。
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アプリ。クオリティが高い。難易度調整もなかなか。
↑playストアの説明概要欄より
形が変わると(ムキムキだったりビリビリだったり)と声も変わるのが良い。